知財お仕事百景 #3 - 弁理士法人R&C・畑山吉孝先生、弁理士法人NT・中村忠則先生

公開日: 2024-12-01

知財業界で活躍する実務家のキャリアを深掘りするインタビュー、「知財お仕事百景」。
第3回は、弁理士法人R&C・畑山吉孝先生と弁理士法人NT・中村忠則先生の対談企画。お2人の出会いからこれまでのキャリア、そして今後についてお話いただきました。

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2人の出会い、「職業:弁理士」との出会い

本日はどうぞよろしくお願いいたします。まずは自己紹介をお願いできれば。
畑山:弁理士法人R&C(以下「R&C」)の弁理士の畑山です。私は京都大学工学部土木工学科に1浪で入り、1年留年して卒業しました。その後株式会社竹中土木に入社し、ゼネコンでの現場監督を1年経験。その後、地元の高知県にUターンして建築設計事務所、建築設計の下請けを実質9年やっていました。34歳のときに今のR&Cの前身である北村国際特許事務所に技術者として入所し、もうすぐ17年になります。
2012年に弁理士になりました。メカトロや通信、AIなども含め、機械構造を中心にハンドリングをしています。現在は事務所のパートナーでもあるので、渉外活動なども行っています。
中村:弁理士法人NT(以下「NT」)の中村です。私も1浪して京都大学工学部土木工学科に入りました。畑山さんとは同い年で、同級生です。
大学院に行って、25歳のときに大阪市役所に就職、都市開発をメインでやっていました。なかなかハードな職場で、転職も見据えて30歳のときくらいから色々な資格を取り始めたときに弁理士という資格を知り、38歳で合格しました。
特許事務所への就職活動中、合格祝賀会で畑山さんに再会。「弁理士試験に受かって、北村国際特許事務所(現弁理士法人R&C)の面接に行きます」と言ったら「俺そこで働いてるよ」って言われてびっくり。結局そこから12年間R&Cで働き、今50歳になって独立しました。

中村先生は公務員を経て、弁理士の資格に出会って知財業界に足を踏み入れます。畑山先生は現場監督、建築設計を経験され、なぜそこから弁理士を目指されたのでしょう。
畑山:父が建築設備の職人で昔から建設系に興味がありました。父が「京大は日本で初めて土木ができた大学」と言っていて、憧れて京大土木に入学。ただ僕はラグビー部で大学生活をエンジョイしていたので、全然勉強せず、1回生では16単位しか取ってなかった(笑)。4回生に上がるときにギリギリ単位をとって、たまたま拾ってくれた研究室に預かってもらいました。でも、その後院試にも2回落ちてしまった。
慌てて就職活動を始め、先生に相談して、学校推薦枠にあった竹中土木に入社しました。自分で将来について深く考えずに決めたので、目標も希薄で、結局1年で辞めてしまいました。その後、地元高知に戻り、知り合いの紹介で建築設計事務所に入所して建築家を目指したのですが、センスもないうえに、デザインに対する努力を積み重ねずに生きてきて、建築設計なんかできるわけがなく、建築設計事務所も長続きしませんでした。でも食っていくには何かしなければならず、結局伝手で下請業務ををもらって自宅でコツコツ図面を書いていました。
「あかんわ俺、このままじゃ将来駄目になる」って思っていたときに、大学のラグビー部の集まりが10年ぶりにあり、そこでライトハウス国際特許事務所の田村先生と再会しました。田村先生はラグビー部の1学年後輩で、近況を話していたら、彼は弁理士になっていた。彼の話を聞いて知財業界に興味を持ち、弁理士試験を目指して試験勉強をしながら無資格のまま特許事務所に就職活動しました。20社ぐらい書類も出したかな...最後の最後で北村国際特許事務所の求人に応募し、なんとか内定をもらいました。
人生どん底でしたね。「資格取れたら生きていけるかも、最後の人生の転機や」と思って、この仕事に就きましたね。必死でした。

2人の再会

再会は2011年の秋中村先生は弁理士試験に合格されたときにR&Cに応募中で、合格祝賀会に行ったらR&Cに勤めている畑山先生がいた。
畑山:はい、面白かったです。僕は高校卒業後、浪人して地元の予備校に通っていました。数ヶ月に一度、京大模試を受けていたのですが、中村さんは、いつも京大土木のランキングのトップ5にいたんですよ。だからその頃から「中村忠則」って名前を知っていて、憧れの存在だったんです。大学に受かって教室に行って、「こいつが中村か!」って思いました。大学も首席入学の中村さんは、僕の中では超有名人だった。
大学入学後、僕はラグビー部に入ってラグビーばかりやっていて、学校もあまり行かなかったから、中村さんとはほとんど交流がなく、挨拶程度。卒業後も何をしているのかまったく知らなかったんです。
それが、卒業後10年以上経って、弁理士試験の合格祝賀会で再会。中村さんから親しげに「畑山(ハタケヤマ)、久しぶり!」って声をかけてこられたんですよ。「俺こいつと大学の同級生で仲良かったんだよ」とか周りに言っていて、「そんなに知らんし、しかも名前間違えてるわ!」って、そんな感じでした。
中村:私は市役所勤務だったので、通勤中の畑山さんを見かけていた。試験会場でも実は畑山さんを駅のホームで見かけてました。間違えてたら嫌なので声はかけなかったですけど。
畑山:声かけられてもたぶん「ハタケヤマ」って言われてたと思う(笑)。


全然違うキャリアを経たのに同じタイミングで弁理士合格。ドラマみたいですね。
畑山:中村さんも僕も繰り返し試験に落ちています。僕は5回目で受かりました。合格前年に口述試験が急に難しくなって、口述試験落ちも経験しました。中村さんが口述試験で落ちていたのは意外でしたけど。
中村:口述試験って独特やったんですよね。今まで色々な資格試験をたくさん受けてきたから、「口述」って言われたら、簡単な質問ぐらいだと思って、勉強せず行ってしまった。そうしたらすごい問題が出てきた。私は周りで弁理士を目指している知り合いもいなかったし、情報がなくて、打ちのめされました。
弁理士試験って、短答と論文と口述って3つ受けるんですけど、論文試験は必須と選択が必要な人と、例えば院卒の私みたいな人は必須だけ。制度の過渡期で免除制度が使えたのはラッキーでしたが、合格まで時間はかかりましたね。

合格祝賀会での再会から、中村さんのR&C入所が2012年。そこからの2人の関係は。
中村:入所したとき、畑山さんとはグループが違ったので、直接仕事の関わりはありませんでした。誰も食事に誘ってくれなくてポツンとしていたら、畑山さんが1週間ぐらい昼飯に連れて行ってくれたのが思い出です。優しかった。
畑山:合格祝賀会で会ってから、家が近かったこともあり、入所前に何回か一緒に飲みに行ったりもしました。中村さんはやる気に満ち溢れていて、先に事務所にいた僕は当時色々なことに迷いのある時期で、僕の悩みを聞いて「一緒に考えようや」って言ってくれました。
中村:全く記憶ないっす。
畑山:「一緒にやろうぜ、変えようぜハタケヤマ」って言ってたよ。
中村:言ってないっすよ、そのときはもうハタヤマさんでしたよ(笑)。

畑山:中村さん、今はだいぶ丸くなったけど、当時はやっぱり役所出身の雰囲気があって、僕はそのうち距離を置いてしまって。でも中村さんは持ち前のキャラクターで1週間もしたら自分から周りに声をかけて、知り合いを増やしていった。仕事の覚えも早かったです。
本人には言ってないけど、入って3ヶ月も経たないうちに、しっかりした明細書も書いていた。ある先輩から聞いたのですが、事務所に共有のプリンターがあって、出力されていた明細書が新人と思えないぐらい出来が良くて、「センスあるな」って思ったら、それは中村さんの書いた明細書だったそうです。所内でどんどん認められて、力をつけていくのを、少し離れたところから見ていました。
中村:技術本や外国実務について必死に勉強した記憶があります。なんとか事務所のお役に立ちたかった。


その後、2人はそれぞれのグループでキャリアを積まれ、畑山先生はパートナーに。中村先生は独立を決意されます。
畑山:グループリーダー、ジュニアパートナーというポジションを経て、パートナーになりました。ジュニアパートナーになった頃から実務とのバランスをとりながら少しずつ経営に関わる仕事も任せてもらえていたので、パートナーになったからといって、そこまで大きくやることが変わったわけではありません。
中村:私は「独立する」って畑山さんに伝えたのが、2023年10月ぐらい。飲みに連れて行ってもらって、フラフラになった状態で「独立せずに、R&Cの東京事務所やってくれ」って言われて「うん」って言ってたらしいです。覚えてないです(笑)。
なので、改めて独立の意思を事務所のパートナー全員に伝え、議論を重ねました。結果、独立はするが、R&Cが立ち上げる東京オフィスを協力弁理士として手伝うことになり、現在は週2回程度、東京の仕事をしています。
畑山:R&Cには年に2回、所員全員で事務所の大掃除をする文化があります。
確か、金曜日の夕方でした。大掃除が終わって、すぐ近くの席にいる中村さんから「話があるので時間をとってもらえませんか」というメールが入って会議室に行くと、ニコニコしながら「だいたい察しがつくと思いますが、独立します」って言われたんです。すぐ所長に報告し、「なんとしてでも引き止めてきます!」と伝えて、中村さんと2人で飲みに行きました。
飲みに行って、独立に対する中村さんの思いを聞きました。でもなんとしても止めなければならない。これから東京オフィスにも力を入れて行こうという経営方針が決まっていたので、「東京オフィスを中村さんに任せられるようにパートナーと話をする。それなら独立と似たようなやりがいはあるでしょ?」と話したら「ほんまやね、いいですね」と言ってくれた。この返事にほっとして上機嫌で週末を過ごしたのですが、週明けに「危うく畑山さんの口車に乗るところでした(笑)。やっぱり辞めさせてください」と。中村さんの意思は堅くて、覆すことはできませんでした。
中村:東京オフィスも頑張っていることはわかっていたので、外から応援する手段を選びました。

お互いに出した結論としては、一番いい形だったと。
畑山:いや、納得してないです(笑)。中村さんは事務所を盛り上げていく中で絶対必要な仲間だと思っていたから、ショックでした。未だに「早く帰ってきて」って言ってます、冗談ですけど。
中村:僕はもう50歳っていい年で、今一から(自分の事務所を)作りあげないと、55歳ぐらいから始めようとしても多分もう元気なくなってるやろなってギリギリのタイミングでしたね。50歳ってもう遅い。2年前にも辞めようか考えていた時期はあったんですが、事務所の状況をみて、自分なりに組織を活気づけてから辞めようと2年頑張りました。
畑山:側から見ても、中村さんはこの2年間でものすごい成果を出していました。そこはさすがですよね。

紆余曲折を経て、中村先生は独立。独立直後、突然「特許の鉄人」なるイベントに呼ばれます。
中村:あれは谷さん(プロフィック特許事務所、株式会社知財塾相談役)の策略です。「特許の鉄人」、知らなかったんですよ。
谷さんからそういうイベントがある、制限時間25分で大勢の前でクレームを書く、しかも相手は畑山さんって聞いて。「私が良くても畑山さんは嫌だと思うので辞退します」って話をしてたんです。でも、「畑山さんノリノリだ」って言われて、じゃあ出るかと。
畑山:僕は違うこと聞いていたけど(笑)、後から「対戦相手が中村さんになるかもしれないですが大丈夫ですか?」って話になって。そりゃあ嫌でしたよ、やりにくいですよ。でも、一度出場するといった以上、渋々。上池さんと谷さんの策略ですね(笑)。
中村:独立後の手続きに追われていた時期で、起案をろくにしていなかったことから、最初は不安でした。でも、同様の環境から出場した谷さんから色々アドバイスをもらえたこともあり、当日は緊張せずにやり切りました。楽しかった。それから、「特許の鉄人」があってからXを使い始めたのですが、フォロワーやそこで繋がった友達が増えたし、独立後の知名度アップとしては、参加して意義を感じられたなとも思います。

畑山先生はいかがでしたか。
畑山:独特の緊張感というか空気があったし、クレーム作成にも正解はないから、勝敗をつけるのも難しい。そんな状況で、面識のない方との試合であれば緊張したと思うのですが、結果的に中村さんが相手で、僕も落ち着いて試合ができました。
勝ったことも良かったけれど、一番良かったのはやっぱり事務所の看板に泥塗らずに済んだこと。ほっとしました。あとは、 7歳の娘と5歳の息子が泣いて喜んでくれました。お父さんが何の仕事をしているのかは分かっていないけど、「中村さんって人と勝負して勝った」ってことにめっちゃ喜んでくれたのがよかった。


なかなか仕事の内容を見せられる職業ではないですしね。そういう意味でお子さんが喜んでくださったのはすごく素敵なことだったんじゃないかなと思います。

2人のこれから

今後のご自身のキャリアについては、どのように考えていらっしゃいますか。
畑山:弁理士って、やっぱり実務が好きなんですよ。直接お客さんに喜んでもらえるチャンスって実務しかないので。
ただ、僕も経営者なので、事務所の僕のパートナーとしての役割って、事務所の売上を確保して経営する、それによってお客さんに安心感を与える、所員のみんなにお給料を払って、みんなとその家族を幸せにするっていう責任があります。弁理士としての自分自身のやりたいこと・満足感の追求ではなく、事務所の所員、クライアントを満足させていく方にシフトしています。
今後のキャリアは、東京オフィスも成功させ、大阪オフィスも大きくしたい。60歳まであと10年ぐらい、どれだけ働けるかわからないけれど、クライアントとも二人三脚で頑張りつつ、事務所規模を大きくして、皆さんを幸せにする。そこを全力でやりたいな、やらなあかんなって、そう思っています。

中村先生はいかがですか。
中村:5年以内に事務所を安定化させたいと思っています。安定化には、従業員10人程度・売上1億以上は目指さなければと考えています。5年でR&Cの東京オフィスを早ければ3年ぐらいで「もう中村はいいわ」と言っていただけるぐらい成長させ、5年目からは自分の事務所に集中。10年目ぐらいになると60歳。その頃にはもう事務所に私がいなくても動いてる状況を作りたい。
10年後は、若手弁理士を育てていきたい。これから日本を担う人たちを育てていきたい思いはあります。今の学生への知財普及活動や、会務活動はそこに繋がるんです。

これから知財業界や弁理士を目指す方に向けて、メッセージをお願いします。
中村:弁理士試験は、最初に勉強方法を間違えなければ合格できる資格です。実際、公務員で周りに受験生の知り合いがいない私でも合格しましたので、勉強の仕方などお伝えできることもあるかなと。気軽にご連絡ください。
合格した上で、どこの事務所を選ぶかはその今の若い人たちが決めることですが、自分を育ててくれる寛大な事務所を選んだ方がいいんじゃないかなって思います。
畑山:知財業界のことをあまり知らずに入ってくる人も多いと思うんですね。知らない業界で、自分の未来が見えない/読めない怖さは皆一緒。だけど、この仕事はあくまでもサービス業。技術と法律をうまく使ってお客さんを満足させる。そこはもうわかりやすい。お客さんを満足させられた喜びはダイレクトに得られます。やりがいがあり、面白みのある仕事だと思います。
中村さんのように将来独立もできるし、僕みたいに事務所の力を借りながら、事務所の中でやっていく、いろんな選択肢があります。
努力の目標を何にするかは自分次第ですが、知財業界で勝ち残りたいのであれば、弁理士になる以外に選択肢はありません。弁理士になって、自分の力で自分の未来を切り開いていってほしいなと思います。

キーワードは「恩返し」

畑山先生はR&Cを大きくすることにモチベーションを持っていらっしゃいます。R&Cの魅力をお聞きできれば。
畑山:通常、100人超の規模の事務所でパートナーになるのは、もっと年配の方です。でも僕がこの年齢でパートナーになれたのは、代表の北村修一郎が「やる気のある若手を引き上げたい」と思っている組織であったからできたことだと思います。
北村は、本気で、人を育てていきたい、若手を伸ばしていきたい、この業界を良くしたいと考えている人なんです。だからこそこの事務所で自分自身を育ててもらったことについて、僕は本当に恩を感じています。
どん底だった人生がここで花開いたというか、助けられた場所です。代表はじめパートナーの皆さん、関わった所員の皆さんには感謝しかなく、恩返ししたいと本気で思っている。だから、事務所の方向性に対して自分に何ができるか、自分の役割ってなんだろうと考えながら、できることはなんでもやります。頑張ります。

中村先生はR&C東京オフィスの協力弁理士もされていますが、NTとの相乗効果や今後の構想があれば、お伺いしたいです。
中村:私も畑山さんと一緒で、R&Cには恩を感じています。公務員で、38歳で明細書も書いたこともない人間を雇って12年間育ててくれたので、恩返しはやっぱりありますよね。
NTにまだまだ知名度はないけれど、R&Cは知名度がある。R&Cで12年間、今もR&Cに協力している私を見て、NTに入ってもいいかなって思う人が見つかるんじゃないか。人材採用の面で相乗効果が生まれたらいいですね。独立後のブランディングって大事ですけど、ブランディングのためにR&Cを手伝っているわけじゃなくて、本当に恩返しですね。
畑山:中村さんの恩返しって言葉は本当です。口も達者だけど要領悪いというか意外と人間臭くて、外に出た今でも親身になってくれるんです。
中村:自分でもタフやなって思うけど、R&Cにも恩返ししたいし、自分の会社も大きくしたいっていうモチベーションが、このタフネスを続けていける理由かなって思ってます。


ありがとうございました!


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